計算コラム

(78) 薩摩藩の無利子250年返済

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2015/ 3/10
薩摩藩は幕命による木曽川治水工事で40万両を費やし、また将軍家大名家への積極的な婚姻政策などで藩財政の負債は1829年に500万両まで膨らんだ。年貢収入14万両では利息さえ支払えず借金地獄に追い込まれた。当時の藩主島津重豪は唐物交易で成功を収めた調所広郷を抜擢し藩政改革に着手させた。1835年に調所は大胆にも借金の無利子250年返済を宣言した。毎年2万両の返済では反発が必須でその対策として、幕府の口を封じるため10万両を上納し、有力商人には特産品や密貿易品を優先的に扱わせた。また九州南端から琉球王国までの広大な地の利を活かし産業振興にも力を注いだ。ウコン、黒糖、菜種などの特産品をブランド化し、唐物の密貿易で収益を大幅に拡大させ、わずか10年ほどで250万両の蓄えまでに財政回復した。この薩摩藩の財政力がその後の明治維新への原動力となった。返済は2085年まで継続されるはずだったが、さすがに廃藩置県後に明治政府により返済無効となった。現在の日本は借金1000兆円、税収入50兆円で、薩摩藩の財政危機時に酷似している。平成の調所広郷の登場を望みたい。
関連リンク
[1]ローン返済(毎月払い)