計算コラム

(59) 時代に翻弄された支倉常長

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2013/5/21
1613年に伊達政宗はスペインとの通商交渉に支倉常長を派遣した。スペインの神父や乗組員と共に使節一行が石巻を出港。黒潮に乗って太平洋を横断しメキシコへ。翌年大西洋を渡りスペインに到着。支倉大使の実直で礼儀正しいサムライ精神が各地で歓迎され、マドリッドでは国王フェリペ2世とローマでは法王パウロ5世との謁見が実現し、ローマ公民権も授与された。だが日本では禁教令が全国に拡大し鎖国へと進んだ。スペイン国王は日本の情勢変化に懸念し通商交渉の返答を出さない。1620年やっとの思いで主君伊達政宗への報告に戻るが、蟄居を命ぜられ歴史の舞台から消える。最近、大西洋に近い田園風景広がるコリア・デル・リオの町にハポン(Japon)姓を名乗る人々600名ほどの存在が確認された。スペインに残った支倉使節の末裔だそうだ。400年前の使節に思いを馳せながらスペインを旅するのも楽しみ深い。
関連リンク
[1]2都市間の距離と方位角